産後うつになる前④
無事産まれた子はとても可愛かった
しかし産後も血圧が下がらず不眠でもあり、要安静
母乳にも苦しめられました
全然出ず、ミルク指導を厳しく、なんで泣いでるかわからないので1時間吸わせ続けたりしてました
もう何から何まで不安なのに、SOSが出せませんでした
そんな中、飲み物を取りに行った時に助産師さんが近寄ってきて、「全然ナースコール押さないけど大丈夫なの?頼りなよ」と言われ、突然感情がジェットコースターみたいに動き出して大号泣しました
もうすでに限界だったのです
うつ病が悪かった頃のフラッシュバックもでてきて、出来損ないの私に育児ができるはずがないのにこんな可愛い子を産んでしまった。
どうしようどうしようどうしよう!!!!!と。
退院前の妊娠計画の指導での乳幼児突然死の説明にも心が揺さぶられました
こんな出来損ないが育てたら子は死んでしまう!と
慌てて実母に実家から来てもらいましたが、産後うつはどんどん悪化して行くこととなるのです
産後うつになる前③
妊娠うつになってるのはその時全く気づきませんでした
産科には「コロナ陽性になればこちらで産むことはできません」と言われ、
「どこで産むことになるんですか?」「わかりません」と突き放された気持ちになり、家に籠って震えてました
人との接触が怖いので、精神科に通うのすら辞めてしまいました
それだけ子が無事に産まれることに執着してました
不眠になり、精神的ストレスからまさかの36週?(うる覚えです)辺りから妊娠高血圧症候群になりました
体重指導を厳しくストレスは最高潮でした
そして39週目目前に入院レベルの高血圧を叩きだし、わたしは緊急入院し、促進剤を使い普通分娩になりました
コロナは陰性だったのですが、立ち会い不可助産師さんもいない部屋で子宮口がある程度開くまで1人放置でした……
誰も背中をさすってくれるひとがいないので、痛みを逃すために腕を噛んで沢山歯型がついてました
出産自体は9時間で終わり安産でした
でもここからが私の産後うつが始まりでした
産後うつになる前②
妊娠で慌てた私はとりあえず精神疾患の薬を全て一気に断薬しました
元々少ない量だったので離脱症状は少しでたくらい
精神科とNICUのある産科に決めました
その時、コウノドリを視聴してたので産後うつというのもは何となく知ってましたが、産科からそういう話は特にありませんでした
後期は里帰りを考えていたのですが、地元も住んでる場所もまさかのコロナ大流行の地で……飛行機に乗るのも怖いしで里帰りする勇気がてませんでした
その時はまだ、コロナ陽性の妊婦の話はあまりありませんでしたのでこの先どうなるんだろうと漠然とした不安を抱えながら毎日家に篭っていました
妊婦のコロナワクチン接種券も届かず、産科では個人の自由ですと言われていました
その不安MAXのタイミングで妊娠後期に入った時、妊婦タライ回しのニュースが流れ……
突然、ニュースや世の中が「妊婦はコロナワクチンをするな」の風潮から、「妊婦はワクチン接種しないと」みたいな流れに変わったように思います
大いに戸惑いました
まず接種券が届いたのは出産間近でなかなか予約も取れず。
電話を何十件としてやっととれたのに産科には絶対に打つなと言われ、部屋の中で泣き叫びました
里帰りもできず、どこに相談すればいいかもわからず、コロナが怖いので外出もできず。。
次第に私は追い詰められていきました
単身向けに住んでたのでファミリー層向けの所に引越ししていたので、周りに友達は皆無でした
とってもとっても孤独でした
病院の助産師さんからは特にエンジェルサポートがあるよくらいの情報しか貰えませんでした
そんな中、産後ケア施設を市役所で紹介してもらったんです
でももうその頃には妊娠うつだったんだと思います
書類がひとつも理解できませんでした
産後ケア施設の申し込みが出来なかったんです
まず日取りがいつ産まれるかわからないのに日付を決める欄があり、めちゃくちゃ困りました
夫や実母、助産師に説明して頼みましたが、なぜか書類を代わりには書いてくれませんでした
申し込みなさいというので、読めないからわからないから代わりに書いてくれというと皆逃げてしまうのでした
その態度に私は益々いらだち、不安と孤独を感じました
私の周りは口を出す癖に何もしてくれないのねと絶望しました
わたしの歪んだ認知
わたしのうつ病は治ったりまたなったりを繰り返してかれこれ14年の月日が流れました
うちの家庭は普通の家庭とは違ってて沼みたいな家庭だったのでトラウマがありまして。
親から離れた学生時代から通院したり止めたりを繰り返してましたね
最初の夫も沼みたいな関係だったので(抽象的ですみません)、大変ボロボロになり精神科を数年ぶりに訪れたらDVと指摘されて、ドロドロの離婚劇がありました
離婚し沼から這い上がったものの、こびり付いた泥がついたまま働きにでたので“全て自分が悪い”という癖強思考ができあがってしまい、どこにいても「迷惑な私なんか…消えた方がいいんだ…」と思っては辞めてました
いま思えば悲劇なヒロイン(癖強)ですね(笑)
点々としてたらブラック企業で働く羽目になりまして。
社長万歳🙌みたいな所で働いてたんですね
すごい皆で崇拝してるような感じ。ただ私には優しくしてもらってたけど何だかおかしいな〜おかしいな〜て思って数ヶ月
社長がお気に入り以外には給料を数ヶ月未払いしてることが判明したんですね
その時私、冷や汗がどばぁぁぁぁぁぁ!!とでました
この会社、やっぱりやっべぇぞ!!!!て
ただ良くしてもらってる反面(社長の母にはいびられてましたが)退職しなければって焦りました
毎日誰かがいびられて毎月人が辞めて給料を払ってないことも知りました
社長50代が贔屓してる女の子(30代)は付き合ってて、その女の子より可愛い子たちは全員クビ(給料未払い)になっていました
毎日緊張し、寝れなくなった辺りに精神科に行き、相談したら「休みなさい」と言われました
でも休めっていうと恐ろしいことが起きると思って言えませんでしたが、、
結論的には仕事に行けず、うつ病で休んだら飛んだということで給料未払いにされて終わりました😥
何十年も沼から抜け出せなかったんで、精神科通って土台を作り直し。
沼じゃなくて土の所で生きようかと思いまして。
産後、コロナ禍とホルモンバランスと産後うつと歪んだ認知のせいで
沼に引きずりまた引きずりこまれてしまいましたが…(笑)
まだなんだかんだと生きております
ただ沼出身なので沼での生き方しか知らないので、土や太陽の元で生きれる方法を見つけたいです
ブログで吐き出すと楽になりますね〜
誰も読んでないだろうし、思いのまま書いてるので多分読んでも意味わからないだろうなぁと思います
でも居場所として楽ちんです
ありがとうブログ
退院会議が終わりました
児相は来れませんでしたが、カンファレンス無事に終わりました
内容的には私の普通=完璧を常に求めすぎて疲弊してしまうことの対策と
子を何年かかってでも引き取りたいこと
社会から孤立しているので居場所を増やすこと
ママブルーの本を見て思ってたことを伝えました
(ほとんど1人で泣いてました😢)
無事終わり、退院日も決まったので一安心
私の中の普通の基準にはもう居られないって悲しかったんですが、看護師さんに「はなさんが求める普通って周りとしては完璧ってことだと思うよ」といわれてびっくり😳
そうかー
病気持ちでまず健常者と同じもしくはそれ以上を求めてたのかもなぁって。
まとめきれませんが、、
病人がアスリート目指してるようなもんですね
病気持ちなら病気持ちらしく生きていく
普通を装いたいは完璧になりたいって思いだったんだってなんかしっくりきました
退院前の会議
これから退院前の関係者会議が始まります
緊張と不安でいつもの背中に痛みがあり
コロナ禍出産じゃなきゃ、産後うつなってないのかなぁとぐるぐる考えてしまいます
不安で色んな人に助けて欲しかった妊婦から出産したての時
相談室や助産師さん、実母、夫に助けを求めてもなにもしてくれなくて泣いてた日々を思い出します
地元で出産受け入れて貰えないし、里帰りもできない苦しさ
引越ししたてで周りに知り合いもいないし、コロナ禍で母親教室すらなく孤独でした
産後うつで入院してからは支援者がついたし、決して前と同じ状況ではないはずですよね
まあそれでもコロナ禍出産で里帰りも誰にもサポートが無かった妊婦の孤独は当事者にしか分かりえません
これからまた良くなるかなぁ
良くなるといいなぁ
子と暮らせる未来が何年先になろうとも希望が絶えなければわたしは前を向いていきたいです
でもつらく悲しいことは沢山あります。どうかここで吐き出させてください